概要・沿革
明治大正期のパブリックホール「ゲーテ座」から…
この地は「横浜本町通りゲーテ座」(1870/明治3年創立) の創始者、オランダ人ヘフトに続いて、 横浜在住外国人達の発案のもとに、フランス人建築家サルダの設計によって 1885(明治18)年に建てられた商業劇場ゲーテ座の跡地の一部です。(語源:ゲィティ=英語・Gaiety=陽気な)
シェークスピアの『ハムレット』など、西洋人による生の西洋演劇に触れることのできる当時唯一の劇場として、日本の近代演劇史に残した足跡は大きなものがあり、小山内薫・北村透谷らが足茂く通ってきた地でもあります。1923(大正12)年、関東大震災によってゲーテ座は崩壊し、その後昭和50年代 初頭まで、ゲーテ座の正確な位置・資料等は散失不明の状況が続きました。(ゲーテ座関係の資料として、明治31年頃の写真・復元図、昭和53年に発掘調査をした際の出土品などを展示しています。) 1980(昭和55) 年、横浜山手の丘に建設された現在の建物は、 学校法人岩崎学園 横浜洋裁学院(現:横浜fカレッジ)の 創立50周年記念事業の一貫として、服飾関係の資料、収集品を中心に展示する博物館として出発しました。
古代エジプト~現代迄の衣裳シルエット (1/2) のモデルや、 服飾装飾品、ブロンズ像、香水ビン etcは設立当初からの ものです。 『美しさを求めて人類は... 』- 当館の基本コンセプトの誕生です。 1階ホールは、かつてのゲーテ座を偲ぶ意味から、 『山手ゲーテ座』と名付け られました。 当館の正式名称『岩崎博物館( ゲーテ座記念) 』の由来はここにあります。 1987( 昭和62) 年より、従来の展示. 収蔵品に加えてガレ、ドームの ガラス工芸品、ミュシャのグラフィック等の作品のコレクションを追加充実しました。 アールヌーヴォー、デコの時代に於けるファッションと装飾とアートとの 関連性の中で収集し、より服飾=ファッションの幅広い展開を図りました。
アートセンター(文化拠点)『岩崎ミュージアム』へ
そして1992年( 平成4)年 1月10日、 愛称を『岩崎ミュージアム』とした当館 は、従来の収蔵品はそのままに、 新たに壁面40mの外光を取り入れた明るい開放的 なギャラリーを開設。 常設展示コーナーも見やすく系統だてたレイアウトを心掛けました。 コンセプトは、美しさを求めて人類は... 、アートとファッションの出会い。 そして、常に動きのある活きたミュージアムとして運営していきたいと考えて います。 今後はギャラリー自主企画展、アートプロジェクト、 隔月刊機関紙「岩崎ミュージアムプレス」の発刊、スタッフの充実を柱に、 学校法人岩崎学園が運営する文化施設としての任を、 全うしてまいりたいと考 えています。 またこの空間を様々なアーティストの方々にもご利用戴きたいと願っています。 岩崎ミュージアムは、これからも日々成長するミュージアムでありたいと思っ ています。 皆様のご協力ご支援をお願い致します。
ギャラリー
年に10回程、絵画や工芸などさまざまなジャンルの企画展を開催しています。最大壁面40m、外光を取り入れることが可能な空間となっています。アーティストの方と協力しながらも催すアートの数々をお楽しみください。貸展空間としてもご利用いただけます。
山手ゲーテ座ホール
日本最初の西洋式劇場を記念して造られたホールです。客席数100という手頃な施設では、山手の丘に建つ当館のサロン的な雰囲気を大切にしています。月に1回クラシックを中心にサロンコンサートを開催しております。音楽会や講演会などの催しものに貸ホールとしてもご利用いただけます。
ミュージアム・カフェ
ロココ調の家具、エミール・ガレ、ルネ・ラリックなどの作品に囲まれた文字通りのミュージアムカフェです。壁面はミニギャラリーとしても使用され、ご入館される方々の憩いの場として親しまれております。ファッションや美術書のコーナーが併設されております。
ドレス体験コーナー
ご来館の記念としてお客様にドレスをお貸しして写真撮影を行っています。