【連載:教育を科学する】第3回 対談・脳は"楽な学び"を信用しない

"望ましい困難"が学びを加速する
執筆者: 伊藤泰宏

この記事は、脳科学者の池谷裕二氏と本学園の伊藤泰宏氏による対談を基に、学習においてあえて負荷をかける「望ましい困難」の重要性を説き、家庭や教育現場で自主性を引き出す具体的なアプローチを解説したものです。

対談:池谷裕二(東京大学 教授) × 伊藤泰宏(岩崎学園 本部長)

「ちゃんと教えたのに、なぜか身につかない」

――教育の現場で、これほど多くの先生を悩ませる謎はありません。実はその”犯人”は、ほかでもない“分かりやすさ”そのものかもしれないのです。課題や宿題をつまずきもせず解ける状態は、一見すると理想的に見えますが、学びの観点では必ずしも効果的ではありません。

第3回は、脳科学・教育心理学・現場経験の三つの視点から「困難の質」を解き明かします。スラスラ解けることは、脳にとっては「記憶しなくていい」という合図。学校でも家庭でも、「ほどよくつまずいて、少し考え込む」瞬間こそが、学びの本質的な起点になるのです。

夏休みまで、あと2週間。学生たちもすっかり、専門学校での学びのスタイルに慣れてきて、「どうやったらタイパよく授業の単位を取れるか」といった勘所も身に付けつつあるのが感じ取れる今日この頃です。本連載をお読みいただいている保護者の皆様、こんにちは。岩崎学園 本部長の伊藤泰宏です。

前回(第2回)では、「やる気は身体から始まる」「習慣化には平均66日」というお話をしました。GW明けの分岐点を越えた1年生たちは、いま2ヶ月目の壁を抜け、机に向かうことが「歯磨きと同じ感覚」になってきた頃合いです。

とはいえ、ここからが、本当の勝負どころです。「続けられる」が次に 「深く学べる」 へと変わるかどうか。教える側として、私が いまだに毎日突きつけられる問い があります。

「目の前で悩んでいる学生や、すぐ助けを求める学生に、どこまで手を貸すべきなのか。それとも、どこまで自分で考えさせるべきなのか。」

同じ問いは、保護者の皆様にとっても、机に向かって悩んでいるご子息の背中を見ながら、何度も湧き上がってきたことがあるのではないでしょうか。今日はこの問いを、本連載の監修者である東京大学・池谷裕二教授との対談を通して、脳科学と教育現場の両側から解き明かしていきます。テーマは 「教育における困難の正体」 です。

1.「わかった気」は、もう一度忘れる

伊藤:池谷先生、私が現場で長らく学生と向き合ってきて、ある種の違和感を覚えることがあります。授業中、誰よりも頷きながら聞いていた学生が、翌週のテストでは見事に授業内容がすっぽ抜けている。逆に、講義の途中で何度も首を傾げていた学生のほうが、テストの結果が良かったりする。

最初は「私の教え方が下手なだけか」と落ち込んだりもしたのですが(笑)、どうやら、それだけではないらしい。割とよくある出来事で、単なる偶然とは考えにくいんです。

池谷:いえいえ、それ、ぼく自身もずっと気になっていた現象なんですよ。実は心理学に「望ましい困難(Desirable Difficulties)」という、ちょっと面白い言葉がありましてね。脳って、スラスラわかった情報は、あんまり長期記憶に残してくれないんです。

ところが、少しだけ詰まった、思い出すのにほんの一瞬かかった――その「摩擦」が起きると、記憶を仕分けする海馬のあたりが「おっ、これは重要らしいぞ」と反応して、回路を太くしてくれるようなんです。脳のけっこう不思議なところなんです。

伊藤:頷きながら聞いていた学生は、脳にとっては「素通り」だったわけですね。

池谷:そうなんですよ。授業を「わかりやすく作りすぎる」と、皮肉なことに、学生の脳にはほとんど残らないことがある。「親切な授業」と「学びになる授業」は、ときどき真逆を向くんです。脳って案外いい加減なところがありまして、見せかけの「わかった気」には、けっこう甘いんですよ。

伊藤:これは私たちのカリキュラム設計でも、常に課題となる論点です。「親切な授業」を追求すると、期末の授業アンケートは確かに上がります。しかし、半年後・1年後に応用が利くかというと、必ずしもそうではない。

岩崎学園では各科目で以前の単元の応用を意図的に分散配置しているのですが、それは少し忘れた頃に思い出させるための設計です。学生からすれば「あれ、これ前にやったやつだっけ?」と一瞬迷う……その一瞬の迷いそのものが、脳のごちそうになっている。私はそう睨んでいるんですが。

池谷:あー、それ、ぼくもずっと同じこと感じていて。半分は当たっていて、もう半分は、もっと面白いんです。当たっている半分は、いま伊藤先生がおっしゃった”少し忘れた頃に思い出させる”。あれは認知心理学でいう「間隔反復(Spaced Repetition)」そのものでしてね。時間を置いてから思い出す、あの一手間です。

そして、もう半分――こっちのほうが、もっと面白い。「インターリービング(交互練習)」というものがありまして。算数で言えば、足し算のページと引き算のページをきれいに分けずに、ランダムに混ぜて出題する。すると学習者は、思い出す前にまず「えっと、これはどっちのやり方だ?」と立ち止まる。間隔を空けるだけじゃなく、”どの方法を使うかを自分で選ばせる”――その一手間が、さらに効くんです。

伊藤:ところが現場では「混ぜると学生が混乱する」「順番に教えたほうが優しい」という、いわば「教えるとはこういうものだ」という様式美のような思い込みも、根強くあったりします。自分たちも、そう習ってきましたから……という善意からなのですが。

池谷:その「優しさ」が、脳にとってはちょっと「退屈」なんですよ。

2.「楽してもらった答え」より、「自分で勝ち取った答え」

伊藤:ここまでは、教える側の設計の話でした。一方で学ぶ本人の感情としては、私ももちろんそうなんですが、やはり「楽な道があるならそちらを行きたい」と感じるのが普通だと思うんです。ところが――不思議なことに、人はときに、わざわざ手間のかかるほうを選んでしまうことがある。これは、いったいどういうことなんでしょうか。

池谷:ここが脳の面白いところでしてね。動物行動学に 「コントラフリーローディング(Contrafreeloading)」 という現象が知られているんです。条件にもよるんですが、動物も人間も、「苦労して手に入れた報酬」 のほうに、なぜか強い満足を示すらしい――そういう報告が、繰り返し出てくるんですよ。

伊藤:たとえばどのような実験ですか。

池谷:古典的なものでは、ネズミの目の前に「皿に盛られたタダの餌」と「レバーを何回か叩かないと出てこない餌」を並べておく。すると、両方が見えているのに、タダの餌のほうを素通りして、わざわざレバーを叩きにいく個体が観察されたんです。

1960年代から繰り返し報告されてきました。効果の強さは条件によって変わるんですが、「苦労そのものに価値を感じる回路」 が脳には備わっているらしい、と言われている。ぼくらの研究室でネズミを見ていても、案外、楽な道って好まないんですよ。これ、人間も似たところがあるんじゃないかと、ぼくは思っているんです。

伊藤:私事ですが、味噌汁の出汁を、わざわざ煮干しや昆布から取ることがあるんです。顆粒だしで十分なはずなのに、手間をかけた日のほうが、不思議と一杯の満足感がまるで違う。――いま先生に伺った、わざわざレバーを叩くあのネズミと、私はまるで同じですね(笑)。

我ながらおかしいんですが、どこか通じる気もして。これは教育心理学の「自己決定理論」とも、重なる話なのかもしれません。人は「自分で選んだ」「自分の力で乗り越えた」と感じられるときに、内発的動機がもっとも強く立ち上がる。

タダで与えられた成功は、本人の中では「自分の手柄」になりません。これは現場でも実感があります。私の記憶に強く残っているのは、1年生の秋に目標としていた国家試験――情報処理技術者試験の「基本情報技術者試験」で不合格になった後、あきらめずに何度も過去問を解き直し、見事に2年生の春に合格を勝ち取った、ある卒業生のことです。

彼女の合格までの時間は決して短くありませんでしたが、就職後、現場で頭ひとつ抜けて伸びていきました。一方で、最短距離で合格点を取った学生のほうが、就職後に「学んだはずのことが現場で出てこない」と苦労する場面もよく耳にします。

自分の力でもぎ取った、という手応えのある学びは、その後も本人を内側から押し続けてくれる。同じ「合格」でも、結果だけ受け取った学びとは、後の伸び方がまるで違ってくる気がしてなりません。

池谷:まさにそうなんですよ。自分の手で掴んだ成果には、強いドーパミンが伴う。すると脳は、次に似た場面が来たときに「またあれをやりたい」と、勝手に動き出してくれる。実は脳が「ごほうび」として強く感じているのは、「結果」そのものより、自分で掴みにいく「その過程」のほうなんです。ここはけっこう見落とされがちなんですけど、脳にとっては、結果より道のりのほうがご馳走なんですよ。

伊藤:岩崎学園では、課題設計のときに「最後の一歩は学生に考えさせる」という方針を持っています。教員がすべてお膳立てして答えに辿り着かせたほうが、教員も学生も楽です。けれど、翌週まで残る学びの量は、明らかに減ってしまう。それを踏まえてのことです。ただ正直、どこまで残してどこから手を貸すかの線引きは、いまも手探りなんです。――これ、授業での話ですが、ご家庭でも同じなんでしょうか。

池谷:そうなんですよ。これ、何も教室の中だけの話じゃなくてね。専門学校生でも、社会に出た大人でも、脳の仕組みはまったく同じなんです。ご家庭でも、課題や試験勉強で行き詰まっていると、親としてはつい”正解”や近道を教えたくなる。でも、そこをぐっとこらえて、もう少しだけ”自分で考える余白”を残してあげるのがいいんです。

すぐ口を出さず、ひと呼吸。ヒントを出すなら、答えそのものより問い返しがいい。「いま、どこまで分かってる?」――親なら誰しも、つい先に答えを言ってしまいがちなんですけど、そこをぐっとこらえて、そう訊いてみる。すると本人が話し始めた瞬間に、もう脳は答えのすぐ近くまで来ているんですよ。

3. 困難を「苦行」ではなく「クエスト」に変える

伊藤:ここで一つ、現場で長くぶつかってきた壁の話をさせてください。「あえて少し負荷をかける」ことの効用には、私も心から同意します。ただ、正直に言うと、難しいのはここからなんです。同じ「負荷」でも、学生が「ただの嫌な苦労」と受け取った瞬間、すべてが逆効果になる。

実際、ふっと席を立ってしまう学生もいます。この”負荷の質”をどう設計するか――ここが、私がいまだに試行錯誤を続けているところです。

池谷:これは大事なご指摘です。脳科学から見ると、同じ「負荷」でも、それを「脅威」と受け取るか「挑戦」と受け取るかで、関わってくるホルモンの働きがずいぶん変わってくるらしいんですよ。

脅威だと感じるとストレス系の反応が優位になりやすく、学びにブレーキがかかりやすい。逆に挑戦だと思えているときは、やる気や前向きさに関わる回路(報酬系など)が働きやすく、学びが前に進みやすいと言われています。もちろん個人差も大きいんですが、少なくとも、同じ「困難」とひとくくりにはできない――そこは確かなんです。

伊藤:その分かれ目は…やっぱり、本人がそれを”やらされている”と感じるかどうか、でしょうか。

池谷:そう、まさにそこなんですよ。さっきの“自分で選んだ”という話と地続きで、ひと言でいえば「自分が主役だと感じられているか」。「自分の意思で挑んでいる」と思えているときは、脳は同じ困難を「挑戦」として処理してくれる。

ところが「やらされている」と感じた途端、まったく同じ問題が「苦行」に化けてしまう。脳って、案外こういう”気の持ちよう”に、ころっと左右されるんです。

伊藤:これは、私たちが現場で大切にしている「なりきり」の工夫そのものだと思っています。同じ課題でも、「これは試験のための暗記だ」と渡すか、「あなたは来年から、その道のプロになる人だ」という”役”とともに手渡すか。

それだけで、同じ学生の脳の中で、課題がまったく別ものに変わるんです。これは、池谷先生のご著書にある「BERI」の『I(Ideomotor=なりきり)』、私たちがいちばん大事にしている要素でもあります。

池谷:脳科学的にも、筋は通っていると思います。心理学に「観念運動(イデオモーター)」という、”こう動こう”と思っただけで体がわずかに動いてしまう現象が知られていましてね。「思い」が体や脳の構えに表れる、その入り口のような現象です。

同じように、「自分はプロだ」という自己イメージ――いわば「やれそうだ」という自己効力感が、脳の身構えを変えていく。そう考えられていますし、そうした“役”が、つまずいても立て直す力につながるとも言われています。人間の脳って、案外こういう”なりきり”を、ばかにできないんですよ。

伊藤:私たちには教職員10の行動指針というものがあって、その一番目に掲げているのが「否定から入らず、共感から」です。たとえば学生が「できない」と弱音を吐いたとき、「そんなの簡単だよ」と突き放すのではなく、「そうだね、ここは難しいよね」とまず受けとめる。

そのうえで、学生を「守るべき子ども」として扱うか、「これからプロになる人」として扱うか。つまり、教員が“プロとして扱う”ことで、学生のなかに“プロになりきる”スイッチが入る。同じ言葉、同じ課題でも、受け取る学生の脳の反応は、驚くほど違ってくるんです。

池谷:その「プロとして扱う」というの、抽象論で終わらせないために、現場で何か具体的にやられていることはあるんですか。

伊藤:実は最初は滑ったんですが――いまは、私自身が看護学校の授業で実践しています。「あなたは判断する側だ」と役を渡す典型例が、この「相関と因果」という、統計のけっこう地味な単元なんです。

池谷:ほう。その地味なところを、どうやって。

伊藤:まず、いかにも関係がありそうな”あるある”を見せて、「これ本当に関係ある? まず予想して」とだけ言う。答えはあえて言わず、授業の最後に、自分のパソコンで実データを計算させて答え合わせをさせるんです。たとえば『アイスクリームの消費が増える月ほど、水難事故が増える』。

しかも実際に計算させると、両者の相関係数は0.94――ほぼ完全に連動して見える数字が、本当に出るんですよ。

池谷:あぁ、それはいい。脳って「予想と違った!」という瞬間に、いちばん強く反応すると言われていましてね。”予測誤差”といって、その裏切られた驚きが、ドーパミンの引き金になりやすい。先に予想させるのは、その引き金を自分で引かせているわけです。

伊藤:なるほど…”出題”じゃなく”予想”のほうに意味があったんですね。学生は自分で「0.94」という数字を出した瞬間、「本当に強く相関してる…でも、アイスが水難事故を起こすわけないよな?」とザワつく。そこで初めて、「”夏の暑さ”という共通の原因が隠れてた」と腑に落ちる。

池谷:他人に「交絡(調べたい2つの事柄の間に「見せかけの因果関係」が生まれてしまう現象のこと)です」と教わるのと、自分で数字を出してから気づくのとでは、まるで違うでしょうね。

伊藤:まったく違います。相手は看護学生なので、現場の話にもすり替える。「鎮静剤を多く使った患者さんほど、不穏が強い」――薬が原因に見えて、実は逆。不穏だから鎮静剤を使っている。データに騙されると、現場で判断を誤る。「あなたたちは来年、その判断をする側だ」と。

池谷:まさに「なりきり」ですね。”統計の問題”が、”看護師としての自分の問題”に化ける。

伊藤:そして――いちばんの山場が、毎回の授業後の演習なんです。「一見関係ありそうで、実は無関係な”引っかけ”を、自分で作って投稿しなさい」と。コツも渡します。”共通の原因”を先に1つ決めて、それが押し上げる結果を2つ探す。

たとえば「真面目さ」を共通原因にすれば、「ノートが綺麗な人ほどテストの点が高い、と思われがちだけど、実は…」という引っかけが一丁あがり、というわけです。

池谷:あぁ、これはうまい。”引っかけを作れる”というのは、仕組みを完全に分かっている証拠ですからね。解くより、作るほうが、はるかに難しい。いちばん深いところを、最後にやらせている。

伊藤:しかも、それをLMSのフォーラムに投稿させて、面白いものには学生同士で”イイね”を付け合うんです。

池谷:それは効きますよ。人の脳は、仲間から認められたという信号に、お金や食べ物と重なる報酬の仕組みが反応すると言われていてね。しかも――先生に褒められるより、同じ立場の仲間から”イイね”をもらうほうが、たぶん刺さる。

伊藤:痛感します。私が「いいね」と言うより、隣の子が「それ面白い!」と言うほうが、本人は何倍も嬉しそうで。

池谷:でしょうね。”先生”は学生にとって、ちょっと”外の人”ですから。仲間の評価は”内側”の評価。同じ言葉でも、届き方がまるで違う。

伊藤:だからこの演習は、ただの宿題じゃなく「いかに仲間に“おっ”と言わせるか」というゲームになる。気づけば、統計のいちばん難しいところを、みんな夢中でやっているんです。

横浜実践看護専門学校『情報科学』の毎回の授業で実施している演習の例――学生が”共通の原因”から逆算して疑似相関を自作し、LMSに投稿する(実際の授業スライド)

池谷:だから、優しさにも”種類”があるんですよ。「困らせない優しさ」と、「自分で乗り越えさせる優しさ」。前者は、その場では学生を喜ばせます。でも長い目で見ると、脳を退屈にさせてしまう。後者は、その場では少し嫌がられる。けれど長い目で見れば、ちゃんと学生を強くしてくれる。ぼくは、教育の本当の優しさって、後者のほうにあるんじゃないかなあ、と最近は思うんですよ。

伊藤:その「後者の優しさ」を、学生に嫌がられずに手渡す技術こそが、私たち教育者の腕の見せどころ、ということですね。

4. 保護者の皆様へ:家庭で「あえて粘らせる」3つの技術

池谷:伊藤先生、ここまで学校の話をうかがってきましたが……ぼく、いつも思うんです。脳の仕組みは、教室でも家庭でも、たぶん何ひとつ変わらない。だとすると、いちばん難しい”あと一歩を残す”を毎日試されているのは、案外ご家庭のほうかもしれませんね。

伊藤:本当に、そうなんです。学校で起きていることは、ご家庭でもそのまま起きますから。では、ここから少しだけ、保護者の皆様に直接お話しさせてください。専門学校生ともなれば、ご本人はもう”教わる人”ではなく、”プロになりかけている人”です。だからこそ、ご家庭での関わり方も、少しだけ変わってきます。

夏休みが近づくこの時期、こんな判断が次から次へと立ち上がってくる頃だと思います。――資格対策や夏期講習を勧めるべきか、本人に任せるべきか。国家試験の勉強で夜ふかししているとき、声をかけるべきか、見守るべきか。進路や就職の話を、こちらから切り出していいものか。どれも「どこまで踏み込むか」の、ひりつくような判断です。

今日の対談を踏まえて、ご家庭に持ち帰っていただきたいことを、3つだけに絞ってお伝えします。どれも、特別な道具も知識もいりません。

① “正解”を渡す前に、ひと呼吸おく

伊藤:ご本人が「この課題、もう無理かも」「実習でこんな失敗をして…」とこぼしたとき。親としては、つい解決策や”正解”を授けたくなります。でも専門学校生はもう、答えを”教わる”段階ではなく、自分の手で”掴む”段階にいます。すぐに口を出さず、まずはひと呼吸。それだけで、半分ほどは自分の力で考えをまとめ始めます。先回りして答えを渡すのは、脳にとっては「学びのいちばんおいしいところを横取りした」のと同じなんです。

池谷:脳科学の言葉でいうと、それは”予測誤差”をご本人に残してあげる、ということなのかもしれません。先に親が答えを言ってしまうと、その「あれ、どうしてだろう?」という引っかかりごと消えてしまう。ひと呼吸おくだけで、いちばんおいしい驚きが、ちゃんとご本人のものになるんです。

② 答えではなく、問い返す

伊藤:それでも止まっているときは、解決策ではなく「いま、自分ではどう考えてる? どこで引っかかってる?」と問い返してください。これは、決定権をご本人に返す――ご家庭で”主役”を手渡す操作です。「ここまでは見えてる」と話し始めた瞬間、本人の中で、もう答えは動き出しています。

池谷:それ、さっき話した「主役を本人に返す」操作そのものですね。決定権がこちらにあるうちは、脳はどうしても”やらされ”モードになりやすい。「あなたはどう考える?」と問い返した瞬間に、ハンドルが本人の手に戻る。同じ課題が、ふっと”自分ごと”に変わるんだと思います。

③ 結果ではなく、”粘った過程”を認める

伊藤:「合格してすごいね」より、「最後まで、よく粘りぬいたね」。内定の数より、「自分で選んで、決めたんだね」。脳がごほうびとして強く受け取るのは、結果そのものより、自分で選んで踏ん張った「その過程」のほうです。粘った時間こそが、一人の専門職になっていくご本人の、財産になります。

池谷:これは、最初のネズミのレバーの話とも、どこか通じますね。脳がごほうびとして受け取りやすいのは、結果そのものより、掴むまでの道のりのほうらしい。「すごいね」は結果へのご褒美ですが、「よく粘ったね」は過程へのご褒美。後者のほうが、次の一歩につながりやすいんです。

伊藤:そして、もう一つだけ。ご本人が「もう向いてないのかも」「やめようかな」と弱音をこぼしたとき。「そんなの甘えだ」と突き放すのは禁じ手です。同じくらい禁じ手なのが、よかれと思って「じゃあ、私が学校に聞いてあげる」と、本人の課題を親が引き取ってしまうこと。代わりに、こう言ってみてください。「そこは、プロでも一度は立ち止まるところだよ。あなたなら、どうする?」

池谷:いい言葉ですね。「あなたなら、どうする?」と問われた瞬間、ご本人の中で、難しさが”やらされる苦行”から”自分で挑むクエスト”へ、すっと切り替わる。ご家庭でできる、いちばんやさしい脳のスイッチの入れ方かもしれません。

5. 対談を終えて

池谷:いやあ、今日は現場の具体例をたくさん持ってきていただいて、ぼくのほうも勉強になりました。最後に一つだけ、逆にうかがってもいいですか。伊藤先生がこれまで見てきた中で、「学生がぐっと伸びた」と感じるのは、どんな瞬間でした?

伊藤:そうですね……振り返ってみると、共通点が一つだけあるんです。学生が伸びる瞬間に、私は何度も立ち会ってきました。そのすべてに共通しているのは、本人が「自分で何かを掴んだ」と感じている、ということです。誰かに答えを教わったのではなく、自分の手でレバーを叩いて、自分でエサを掴み取った――その記憶こそが、次の挑戦の出発点になります。

池谷:それ、今日の話が全部そこに集まってきますね。望ましい困難も、コントラフリーローディングも、なりきりも――そして予測誤差も、結局は「自分で掴んだ」という一点につながっている。……だとすると、伊藤先生たち現場の方にできるのは、答えを渡すことじゃない。掴ませる”余白”をどう設計するか、なのかもしれませんね。

伊藤:はい。私はそれを、よく「ハードルの高さ」に喩えるんです。私たち教育者にできるのは、答えを渡すことではありません。その学生が自分で答えを掴めるだけの、ちょうどよい高さのハードルを、一人ひとりのために設計することです。低すぎれば退屈になり、高すぎれば苦行になる。「あと一歩で届く」絶妙な高さ――それを毎日、目の前の学生ごとに見立てているのが、岩崎学園の教員たちです。

池谷:その”ちょうどよい高さ”に差しかかると、ご本人はたぶん「急に難しくなった」と感じるはずなんです。でも、それはきっと、脳が一段深く学び始めたサインでもある。弱音は、つまずきというより、伸びしろの合図なのかもしれません。……最後に、ご家庭へ、ひと言いただけますか。

伊藤:ありがとうございます。では、保護者の皆様へ。夏休み前のこの時期、ご本人が「最近、専門の内容が一気に難しくなってきた」と弱音をこぼしたら、それは絶好の合図です。それはきっと、脳が一段深く学び始めたサインです。どうかその瞬間を、ご家庭でも一緒に喜んでいただけたらと思います。

私たちが学生に手渡したいのは、「楽な道」ではなく、「少しの凹凸を面白がれる強さ」です。それこそが、岩崎学園の目指す”楽しむ力を持つ人材”なのだと思っています。

次回は、この「ちょうどよい高さ」を、学園として一人ひとりに合わせて設計するための仕組み――AIと100年分の指導データを、どう融合させるかという、未来の教育の話をお届けします。

【今回のポイント】

  • 望ましい困難(Desirable Difficulties):脳は「スラスラわかった」ことを記憶しにくい。少し立ち止まる瞬間こそが、長期記憶への入口になる。
  • コントラフリーローディング:「タダで得た成果」より「自分で掴んだ成果」のほうが、強い満足と次の挑戦を生む。
  • なりきり(Ideomotor):同じ困難でも「自分が主役だ」と感じられた瞬間に、苦行はクエストへ変わる。
  • 家庭での実践:「”正解”を渡す前にひと呼吸」「答えではなく問い返す」「結果より”粘った過程”を認める」。
  • BERIとの接続:今回の話は、池谷教授のご著書にある脳科学フレーム『BERI』――Body(身体)・Experience(経験)・Reward(報酬)・Ideomotor(なりきり)――のうち、E(質の高い困難の経験)・R(”粘った過程”を認める)・I(なりきり)にあたります(B=身体は第2回で)。

東京大学・大学院薬学系研究科 教授 池谷 裕二

日本が世界に誇る脳研究者の一人であり、岩崎学園総合教育アドバイザーとして本教育システムの監修を務める。専門分野は大脳生理学。とくに海馬の研究を通じて、脳の健康について探究している。著書に『海馬』『記憶力を強くする』『脳には妙なクセがある』などがある。脳の最先端の知見を老若男女、世界に向けて分かりやすく伝えている。「情報7daysニュースキャスター」(TBSテレビ)にコメンテーターとして出演中。

伊藤泰宏

マーケティング・教育事業創造本部 本部長

学校法人岩崎学園CDO(Chief Data Officer)・評議員。20年以上にわたり教育・学校マネジメントの現場で学生の成長に伴走。データサイエンスの専門家として学会・コミュニティでの研究・情報発信にも従事。現在は、100年の歴史を未来へつなぐため、脳科学・心理学・教育工学・データサイエンスを軸とした次世代教育システムの構築を主導している。