館長より

「ゲーテ座の名をかたちに記念する」 館長 岩崎 幸雄

「ゲーテ座」との出会いが、私の人生に大きな転機をもたらした。
一つの仕事を進めるにあたって、人の気持ちのまとまりがどれほど大切かを強く教えられた。

昭和51年春、自宅を建設する用地を探していた私に、 知人から適当な土地が売りに出ているとの知らせがあった。 さっそく見てみると、横浜市山手の閑静な住宅街の一角にある。 気に入ったのでさっそく購入し、家の設計を業者に頼んだ。 ところがしばらくして私の買った土地は「ゲーテ座」の跡地らしいとのうわさを聞いた。 興味を持って地元の郷土史家や専門家の先生方に尋ねまわったところ、 明治・大正時代に横浜在留の外国人、 特に英国人がアマチュア演劇や音楽会を楽しんでいた 「ゲーテ座」にほぼ間違いないという。  作家の長谷川伸、坪内逍遙、北村透谷、小山内薫ら数多くの日本の文化人にも影響を与えた この劇場に私はしだいにのめりこむようになった。 そして昭和52年の夏ごろだと思う。 義母の岩崎春子に「自宅を建てるのをやめて、ゲーテ座を復活させたい。 岩崎学園の創立50周年の記念事業としてぜひやらせてほしい」と頼んだ。 すると義母は意外にも、今まで通りマンションで私達夫婦と別居生活が続くことを承知の上で、 「自分でいいと思ったらおやりなさい」と言ってくれた。非常にうれしかった。  本格的な発掘調査の結果、ゲーテ座跡地であることが確認されたため、 さっそく建物の設計と建築に入ることになった。 この時、設計を担当してくれた一級建築士の瀬尾武志さん、 実際に建築の陣頭指揮をされた三井建設横浜支店の横尾明さん、 私の右腕となって走り回った煎本博君、 この三人の献身的な働きは今でも忘れない。  ゲーテ座は55年10月、「岩崎博物館」として再びよみがえった。 現在ではアマチュア劇団や音楽サークルを中心に様々な催しが開かれている。

(1984年5 月31日付神奈川新聞より)